6/27-6/29に宮城へ震災地ボランティアに行ってきました。GWと夏休みの間の谷間のこの時期、ボランティアの数が少なくなると言われてます。月末で仕事もピークですが、職場の皆さんの理解があって、行くことが出来ました。感謝です。
1日目:6/27
横浜を10:00に出発し現地に到着したのが、17:00頃でした。休憩を除けば、移動時間は、6時間位でした。途中渋滞もなく比較的スムーズでした。途中で福島のあたりから、道路がでこぼこし始めて、カードレールが曲がっているところが所々で見られました。災害派遣のトラックも増えてきて、自衛隊員の疲れた顔が見えました...。道路は修繕中のところもあちこちで見られて、片面走行もいくつかありました。宮城・多賀城市では、あちこちで店が潰れてます...。その一方で営業再開したお店もあった格差を感じました。今回のボランティア受け入れ先は、宮城・塩釜市にあるホープ宮城というところです。本日ボランティアした人たちの話を聞いてると雨警報が出ていたので現場作業は無理で中で支援物資の仕分けをしていたとのこと。
2日目:6/28
現地は曇り時々雨なので、宮城・塩釜市から高速を使って1時間ほど北の方の宮城・栗原市にある支援物資を格納している倉庫で支援物資の仕分けをしました。ここでは、マット、服、マスクなどが大量に届いていました。その内マスクが必要になるとの事なので、マスクを1カ所に集約しました。衛生上の理由から防塵マスクなどをしていたのでかなり蒸し暑かったです。
この仕分けをして思った事は、送付先の事情に合わせた支援物資を送る必要があるという事です。なかには内容不明物(表記なし)、不要物(明らかに中古物)、色々混ぜこせて送ったものがあり、それを仕分け・除外するのに手間がかかりました。必要な物資を分かりやすく送らないと、送られる方も困ることを体を持って経験しました。
帰りに七ヶ浜を視察しましたが、すごい様相でした。これでも大分片付いたそうです。腐った臭いと潮の臭いが混じっていてちょっと息苦しかったです。
途中道がなくなっているところもありました。
3日目:6/29
この日は晴れだったので、東松島の近くの東名というところへ行ってきました。家の内外を掃除するための発電機、噴射器などを軽トラに積んでいきました。
途中海の近くのコンビニらしき建物が無惨な姿になっているのを見かけました。海岸から200mぐらいのところでしょうか、中は流木等の瓦礫ばかりでした。
午前は被災者宅の外庭に植えてあった木が塩のせいで枯れているので、根っこから取り除き、石灰を撒いて中和する作業をしました。その時に使ったシャベル・スコップ類です。
別のグループは家の中の床下を水で洗浄する作業をしていました。ヘドロの除去は終わっているので、塩を流し終わったら、再び床や壁を張り直して、リフォームすればまた住めるようになるそうです。
3/11当時は1m以上の津波が押し寄せて来て、1Fはめちゃめちゃになったそうです。その数日後、海岸に200人以上の死体が打ち上げられたそうです。当日は停電で放送施設が機能せず、津波警報等のアナウンスが流れなかったそうです。
午後は別の被災者宅へ行って、塩を含んだ土を除去する作業をしました。暑い中の作業は本当に骨が折れる作業でした。下は除去した土を詰めた土嚢の山の写真です。
下は作業をした被災社宅の近くの仙石線です。3ヶ月以上も止まっているので、まるで廃線のような感じでした。
ここではないですが別の箇所では線路が曲がっていたり、電柱が傾いていたりしていて、復旧までまだまだ時間がかかる様子でした。
今回は、被災者と話す機会がありました。3/11当時は現状を受け入れる事が出来ず、心が壊れた状態になって、何も出来ず、数日経って涙があふれて来たそうです。それから周りの人と少しずつ立ち直って、今は大分元気になったようです。屈託のない笑顔を見せてくれて、逆に励まされました。私たちのボランティアの小さな積み重ねが少しずつ復興へつながっていくことを確信できました。今回のボランティアでは、現地の人に寄り添う事の重要さ、そして気の遠くなるような作業をコツコツと積み重ねる事の大切さを学びました。



最近のコメント